本屋離れをした方がいい人間

 

どうやら、自分はストレスが溜まると、本屋に行くよう出来ているらしい。

今まで、自分が本屋に行くのは、本が好きだから、とか、もはや習慣になっているから、とかそういう理由だと思っていた。実際、小説を読んでいた頃はワクワクしながら次に読む本を決めに行っていた。だから、あながち間違ってはいないと思う。でも、最近の自分はそんな理由で本屋に行っていたわけではないと思う。

 

1.2年前から小説を読む頻度が落ち、ぼんやりとマンガを買うようになった。日々のストレスをマンガを買うことで発散していたのだと思う。ちょうどマンガが無料で読めるアプリや違法サイトが流行り出した時期で、「紙のマンガを支えてるのは自分だ」とか「お金を払って読んでる自分は違う」みたいな気持ちがあった。

少し人に対して優越感を感じたかったのだと思う。「マンガを買う」ということでアイデンティティを演出したかったし、「分かる人には分かるマンガ」みたいなものと出会って自分に希少価値を出そうとしていた。

それに、「マンガなら読んでる人口も多いし、もしかしたら気の合う人ができるかもしれない」みたいな期待もあったと思う。自分からコミュニケーションを取りにいけないので、人と自分を繋いでくれるツールをいつも探していた。惨めだなと自分でも思う。

 

とにかく、その日その日のストレスを手っ取り早くマンガを使って発散させたかった。マンガを買うことで「今日は何もしなかった」から逃れることができた。クソみたいな自分への言い訳をひたすら繰り返していた。マンガはたいそう便利だった。

 

当初の純粋な心は忘れ去り、ただただ惰性と焦りから本屋に行くようになっていた。自分でもマンガばかりになっていることは気づいていたので、小説コーナーに顔を覗かせたりはしたものの、結局買うのはマンガだった。ストレスは少しずつ大きくなり、それは一ヶ月の予算から足が出るという形で表れてきた。わりと限界に近づいていた。

 

つい一ヶ月ほど前、色々あって本を買うのをAmazonに切り替えた。Amazonでは本をまとめて買ったほうがポイントがつく。サイバーマンデーが開催されていたこともあり、これから本はまとめて買うことを自分の中で決めた。すると、カートに入れていたマンガが実はそれほど欲しくないことに気づいた。カートに入れて数日もすると、「いや、買うほどじゃないな」と思うようになったのだ。冬休みに入ってストレスが少なかったこともある。思考が比較的クリアになり、健全な買い物が久しぶりにできた。

しかし、冬休みが終わりテストの時期が来た。当然、やりたくもない勉強をやってストレスを溜め、また、勉強をしない・できない自分に嫌悪を感じ始めた。すると、あれほどAmazonでの健全な買い物に感激していた自分が、心を改めたはずの自分が、本屋に自然と吸い込まれていったのである。ポッケに手を突っ込み、顔をうつむかせながら、惰性で本屋に入っていったのである。その時、今まで自分が上に書いたような理由で本屋に来ていたことに気がついた。今までの自分がそんな理由で本屋に足を運んでいたことに今更気づいたのだ。なんとか思いとどまってマンガは買わなかった。ある程度Amazonの買い物が思考に根付いていたおかげだと思う。

明確な理由なく本屋に行きたくなったら危険信号。ようやくそれを認識することができた。これからは外的ストレスを上手くコントロールし、ちゃんと管理された買い物を心がけようと思う。

少し真面目に書こうとしたけど、普段から長文を真面目に書くことがないせいでボロボロの文体になってしまった。こういう基本的なところから変えていかないと、一生痛み止めを飲み続ける人生になりそうだなと思いつつ、ここでおわりにしたいと思います。