突然話しかけてくるおじいさん達VS新しい価値観

街で突然話しかけてくるおじいさんがいる。

一応話しかけられた身としては「誰ですかあなた」ではなく愛想よく応対する。でも、おじいさんのタイプによって感じる印象はぜんぜん違うし、愛想の度合いも違ってくる。

おじいさんが何を理由に話しかけて来ているか、それを見極めることでおじいさんへの接し方も楽になると思う。突然話しかけてくるおじいさんの正体とは。おじいさんは何を理由にどこへ向かうのか。おじいさんのタイプを3つに分けて整理してみた。

 

 1.若者に話しかけたい

1の理由で話しかけてくる人は割と温和な人が多いと思う。そんなに話しかけられたことがあるわけじゃないけど、「最近の人は普段何をしてるの?」とか「昔のこの辺はこうだったんだよ」とか比較的ほのぼのした話題が多い。

僕は若者を知ろうとするおじいさんに出会うと温かい気持ちになる。若者の中から選ばれたもの(もしくは暇そうだった者)としておじいさんに協力してあげたくなる。昔の話をしてくれる人も多少お節介でも面白いエピソードが聞けて「え、おじいさん◯◯してた人なんですか?」みたいな発見があるのでいいと思う。アスリートや芸能人とかじゃない、いわゆる普通の人のハイライトを聞かせてもらえる機会ってなかなかないし、結構貴重だなと思ったりもする。

中には急に政治的な話をふっかけてきたり、自分の体験談ですらない戦争体験談を熱弁してくる人もいる。そういう人たちには「それがあなたの得意分野なんですね、でも僕は違いますので他所でやってください」という態度でできるだけ早く去るようにしている。僕の急に話しかけてくる人へのお愛想ラインはここだ。「アンタいきなり話しかけて人の時間を拘束しようとしてんだからせめて面白い話しなさいよ」と僕の中のマツコも言っている。僕の中のマツコは割と信頼できるのでたまに口から直接喋ったりする。聞けた人はラッキーである。

 

2.そういう気質の人

2の理由の人はそういう人のなので仕方がない。僕みたいに人との境界に強固な壁を築いてる人もいれば、人の家に勝手に上がり込んでくる人もいる。色々の人がいる。あっちが好き勝手にするならこっちも好きにする。最低限のお愛想だけ言って逃げる。「私は好きにした」とだけ書き置いてプレジャーボートから姿を消すのだ。

でも、あとで「あの人認知症だったのかも…」とか思って反省したりもする。難しい。

 

3.寂しい

3の理由は大変よく分かる。自分も「老後は誰ともコミュニケーションを取らずに死んでいくのだろうか…」とぼんやりとした不安が頭をよぎることがある。幸い、自分はSNSのある時代に生まれたので、ネット上のコミュニケーションで不安を紛らわすことができなくもない。でも、あの人たちにとってSNSは肌に馴染んだものではなく、「若者のもの」という意識があるだろう。

「今さら新しいものを覚えたっていつ死ぬかわからないし」と言う人が結構いる。「昔ながらのほうが人間味がある」という人もいる。僕も意固地になって同じスマホを6年使い続け、「自分は古いもののほうが好きだ、新しいのは肌に合わない」と言い張っていた時期がある。どんどん機能が衰えていくスマホを「まだ使える」と使い続け、いよいよ挙動が怪しくなるまで機種変をしなかった。今では立派なiPhoneユーザーとして新しいスマホ生活を楽しんでいるが、「もっと早くiPhoneにしておけばよかった」とはあまり言いたくない。6年間分の自分が亡霊となって僕に取り憑いているからだ。

過去の自分を全否定することは苦しい。否定される期間が長ければ長いほど苦しさは増す。新しいものを受け入れることは過去の自分とさよならすることであり、そこにはかなりの未練や寂しさがつきまとう。

本来、人間は新しくて便利なものが登場したら好奇心の方が勝る。「みんなが良いって言ってるんだから良いんだろう」と素直に受け止められる人が得をする。ろくに情報も得ずに否定的に疑ってかかる人は後々大変な思いをする。

「新しいものの良さ」より「新しいものを受け入れることで失うもの」の方に目が行ってしまう気持ちは大変良くわかる。それに、案外人から言われないと分からないということも分かる。僕もこの文章を書いていてようやく整理できてきたところがある。新旧の比較よりも自分の今あるものを守ろうとすることは自然だと思う。でも、現実は残酷で、嫌でも新しいものの情報は耳に入ってくる。少しずつ入ってくる「新しいものの良さ」、逆に聞こえてくる「昔の不便さ」、それが一旦守りに入ってしまった自分の価値観をチクチク刺激してくる。

間違いを素直に認めれない人がいる。僕とかである。「あっ、これは自分にも非があるぞ」と思っても素直に謝れないし、絶対に10:0にしてなるものかという気質は未だに健在である。「人間なんだからミスするんじゃん、ミスしないことが普通だと思ってるそっちのほうがおかしいんだって」ぐらいに開き直ってるところまである。

これは価値観の話でも同じで、過去の価値観を持った自分が、薄々新しい価値観に気づき始めてる自分に素直になれないのだ。僕の生き方はこれの塊と言っても過言ではない。よくも知らないくせに偏見で拒否し続け、いざ受け入れたら受け入れたで過去の時間を後悔する。その繰り返しである。しかし、この偏見が生み出した得体の知れない思考をたま~に「面白い」と言ったもらえたりするのでなんとか今日まで生き延びてこれたところもある。人生には何事にも最後のセイフティーネットはあるものだなぁ、と宇宙の神秘に感謝したりしている。

素直になるべし!!みたいな強い主張はないけれど、新しい価値観に乗り換えるのが遅くなればなるほどあとで後悔することになる事が多い。長寿の時代なんだから、おじいさん方も新しいものを受け入れてくれたらなぁ~と思う。

あと今日、行きつけの定食屋で食べ収めしようとした時、世間話に見せかけて政治と戦争の話ふっかけてきたおじいさん、許さない。