人は脳みそが眠すぎると無理という話

この文章を朝の5時半に書いているということ。

最近のあまりに自堕落すぎる生活に終止符を打つべく、なんか文章でも書いて脳をリセットしようと試みるも、あまりの眠さに脳が麻痺してしまい、タイピングする手もおぼつかないということ。

この2日間はアマゾンプライムでこのすばを観ていました。月曜のレポートはまだ書いていません。まだ書いていないのでこのすばを観ていました。いよいよ現実逃避の具合が酷くなってきたと自覚しています。

そもそも、中高は別に頑張らなくとも進学に関係のないテストも大真面目に勉強できていたというのに、なぜ大学に入ってから年々学業に身が入らなくなったのでしょうか。

ひとえに「学科に身を置けば何かしら勉強せざるを得ないだろう」というスタンスで大学に入学したからではないでしょうか。そしてズルズルと最低限の勉強しかしてこなかった結果がこれであると。たいへん申し訳ない、色々と。

でも後悔まで行っていないのがせめてもの救いというもので、自由と堕落を極め、孤独の淵をさまよい、失敗に失敗を上塗りして得たこの自己肯定スキルは他のどんな勉強にも代えがたいものを僕にもたらしてくれるのです。

しかし、いくら自分で自分を肯定しようとも、他人の心まではどうしようもなく、結果単位を落としたり人間に距離を置かれたりするわけで、それで更に自分に傷をつけるわけで。でも、いつからか自分でつけた傷にどう対処するか、が楽しくなってしまいまして。傷がハードになればなるほど興奮する自分がおりまして。より不利な自分がいればいるほど弁護のしがいがあるわけで。

もはや精神がセルフSMで構築されてしまった今、社会的な自己保存能力はあやういものになっています。ここで踏みとどまれねばなりません。

なので、一旦文章にすることで、なんとか自分に危機感をもたせようと日々精進しています。しかし、ここ数日それを怠っていました。その結果がレポート遅延です。もはや自分にとって文章を書くことは生命線です。この生命線をなくしてはもはやアイデンティティの崩壊、自堕落ニート、社会的死は確実でしょう。なんとかがんばります。がんばりますのでどうか。何卒。