インプット・アウトプット・インプット

映画の内容をすぐに忘れる。

心の底で「どうせまたいつでも観れる」と思っているからだと思う。 

2時間というのは微妙な時間で、「いつでも取り返せる」感はすごくあるのに、いざ見返そうとすると途端に面倒になる時間でもある。なのに、「またいつでも観れる」という気持ちで観てしまう。テスト勉強のたびに思うアレに似ている。

そもそも2時間お座りして映画を観ることが難しい。もともと集中できない体質なので観ている途中で他に気が行ってしまう。家で映画を観る時、一時停止ボタンを押さなかったことは一度もないと思う。逆に、どうでもいいセリフを聞き漏らすまいとして何度も逆再生ボタンを押したりする。たいへん効率が悪い。

なので、映画を観てその場では「いい映画だったな~」と思っても、映画の内容がちゃんと整理されていないので、ぐちゃっとした断片的な記憶しか残らない。

時々、映画の内容を隅から隅まで覚えている人がいる。あの人達を見ていると、頭の倉庫にパッケージングされた映画がきれいに並んでいる映像が浮かぶ。たいへん羨ましいと思う。

自分の頭には倉庫が建設されておらず、作業体制も整っていない。しかも、メモを書いても覚えていないし、読んでもイマイチピンとこない。なので書かなくなったし、余計忘れやすくなった。頭の病気を疑ってイチョウのサプリを飲んだりもした。少し効いた気もしたけど、「それは老人が飲むものだ」と言われてやめた。どん詰まりである。

 

たぶん、人は人に話すことで覚えるんじゃないかと思う。誰にでも伝わる言葉で、相手に伝わるよう、脳みそを働かせて喋るから記憶に残るんだと思う。映画を観た記憶➕映画を喋った記憶×人数、で何回も反芻しているから覚えているんだと思う。これは映画に限らず、大体の記憶に当てはまると思う。

過去の自分が言葉に結びつけていたイメージが、今では違うイメージになっていることが往々にしてある。「犬」という言葉から連想される犬のイメージが、その時々によってゴールデンレトリーバーだったり柴犬だったりするように。メモを取るときの自分は、相手が自分だから言葉を省力するし、わりとイメージに頼りがちである。でも、読み返すときの自分は割と別人なので伝わらない。この悪循環がメモの致命的な部分だと思う。

3ヶ月毎に人が変わるのでもはやメモは役に立ちようがない。あと字が汚いし読めないし。かといって、映画の話をするような相手もいない。お友達が極めて少ないので。

世界から猫が消えたなら』のツタヤみたいな友だちが欲しい。

1000文字以上書くと脳のキャパがオーバーするらしく、もう書けないので結論だけ書くと、せっかく作ったこの「twitterにはのせられないよ」に映画の備忘録も少し書こうかな、と。なので何卒よろしくおねがいします。